過保護と過干渉
教育とは難しいものである。子供の教育も社員の教育も然りである。
私が子供のころには「過保護」という言葉はよく耳にした。
現在は「過干渉」が問題になっているという。
過保護と聞くと親心が過度の心配に変わり、子供の行動を危険から抑制するため
あれをしてはダメ、これをしてはダメまたは必要以上に「してあげる」という行為を指し
ネガティブな印象である。
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しかしそうした事実はあるものの過保護とは子供がしたいことをバックアップするという側面もある。
例えば「野球選手になりたい!」という子供の希望を全力でサポートするため
高価なグローブを買い与える、有名な野球チームに所属させるなど
こうしたことも実は過保護の範疇に入る。
常識を逸脱したサポートを行えばそれはそれで問題ではあるがある程度ならこうした
過保護もありなのだろう。
一方の「過干渉」。
これは大きな社会問題になりつつある。
子供に対しあれはやった?これはどうした?など質問攻めにし子供の行動を逐一確認し
また危険から遠ざけるためにこれはしてはいけない、あれはしちゃダメなど細かく指示を出す。
つまり子供の行動に干渉し過ぎる行為。
文字通りである。
親心からすれば全て子供のため。しかしこうした教育が子供の自発性や決断力の欠如を誘発し
失敗に対し責任を負わない姿勢を創りだす。最悪の場合は生きる意味を見失う。
社員教育についても同じような事が言えると思う。
我々は建築業界なので専門用語や工法、段取りなど複雑な要素が絡み合うため
教えることも膨大な量になる。
これを1から10まで懇切丁寧に行うと10年はかかるだろう。
ではどうすればよいのか?自分なりに考察してみる。
子供の教育においても社員教育においても親であり、先輩であるものたちが
「自分自身の生活や仕事を本気で楽しむ」ことではないだろうか。
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かなり抽象的だが親や先輩が楽しんでいる姿を見て子供や後輩もそこに興味を抱くと思う。
つまり親のしていることや先輩のしていることに自分も入りたいといった願望が芽生えてくる。
そうした気持ちの変化が知識欲求に変わり自発的に質問したり考えたりするようになるのではないだろうか。
そうした段階を踏んで教えることで吸収するスピードも速くなるであろうし継続的な成長が望めるのであろう。
教育とは「教え育む」事。
興味の無いことを押し付けるのは「教育」ではなく「躾」なのだろう。
人は千差万別。
持って生まれた性格も違えば環境も違う。
どれが正解でどれが不正解というのもないだろうし万人うけする画一的な答えもないだろう。
手段という答えを探すより楽しい未来を見せることが近道なのかもしれない。